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Untitled

三ノ宮へ。海沿いをだらだらと流す。梅田にてヤマサキ氏と合流し、気付けば終電であった。街を、歴史を、そして其処に生きる人々の想いをナメてはいけない。

Comments:6

yamasaki 10-03-02 (火) 2:20

サーフェスは誰でも切り取ることができる行為です。それは決して「写真」ではない。行為としてはあるかも知れないけど。

to-fu 10-03-02 (火) 2:34

> yamasaki san
同感です。例えば自分がyamasakiさんの家族の笑顔をたまたま撮ったとしても、ソレはyamasakiさんが撮ったyamasaki家の写真とは全く意味が違う。街でシャッターを切る行為にも同じような事が言えると思ってます。

yamasaki 10-03-02 (火) 3:16

同じようなシーンを撮ってるのに、なぜあの人と自分は違うのかって考えることと同じです。
なぜ違うのかは考えるまでもなく当たり前のことであって、あなたの人生と私の生きてきたそのものの違いですからしょうがない訳です。
今日話してたように、結局は残されたその1枚がどうであるかということではなく、その1枚を残したこの人がどうであったか、そこに尽きますわ、きっと写真なんて。
逆にそうでなければその1枚も報われないような気もしますね。

to-fu 10-03-02 (火) 3:40

> yamasaki san
もう100万回くらい話してる気がしますが、俺も残された1枚に対して云々てのはどうでもいいですわ。今は。生きて、見て、感じて、対話してetc.。写真なんて、膨大なまでに流れ込んでくるその情報のほんの一部分が「たまたま」カメラという物体を介して残っているというだけの話なので、その「ほんの一部分」を更にミクロ化して取り出してわーわー喚いたところで何処にも到達しないような気がしています。結局は個人個人の人生の問題でしかない訳で。それこそ人生なんてsurfaceを真似る事は出来ても(実際はそれすらも難しいとは思いますが)決してイコールには出来ませんからね。経験値てのは偉大ですね。そこからしか何も語れません。写真も。

Re+α 10-03-04 (木) 13:15

よこからスンマセン。
同感。
ええ話やわ・・・ってのは表現がおかしいかもしれんが(苦笑

自分自身がどうあるべきか、どうしたいのか?
「恰好つける」のやめた時に見えるものがある。と、ちょっとだけ最近わかった気がする(爆
っていうても、格好つける時があるってのは、まだまま未熟だからかしらん(苦笑

to-fu 10-03-06 (土) 3:08

> Reさん
ついつい格好つけてしまうのは、まぁ仕方ないかなと諦めています。人間だもの。
でもやっぱり人間なので飽きるんですよね。何に対しても。つまり、格好つけるのにも飽きる訳ですね。そこでまた自分を対象化して見つめ直すことになるんですけど、その時出す結論にもいずれ違和感を感じる時が来て。で、また考えて…のエンドレスですね。悲しきかな、しかしそんなものなんでしょうね。人生なんてモノは。そこにはもう写真とか無い訳ですよ。たまたま写真をやっていたというだけで。

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