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PENTAX HD PENTAX-D FA★50mm F1.4 SDM AW Archive

Diary


LEICA M10 / LEICA APO-SUMMICRON-M 90mm F2 ASPH.

近年稀に見る大雪が続いております。
ストロボ炊いて嘘くさい誇張表現する必要がないくらいの降雪。
市内はせいぜい10~15cm程度の積雪ですが、花脊の方では1mを超えているとか。
路面の雪が溶け切った頃にスノーシューでも装備して山歩きしてみたいところ。


PENTAX K-1 / PENTAX HD PENTAX-D FA★50mm F1.4 SDM AW

リコーイメージングは生まれ変わります、だそうです。
はっきり言って何が言いたいのかよく分かりません。
要は「我々は今までどおり行きます。」ということなのか。

PENTAXブランドの”工房的価値を提供”ってなんぞや。K-1からK-1 markIIへのアップグレードサービスみたいなガワはそのままに中身だけ更新してくれるようなサービスなら大歓迎なんですが、今のJ limited的な田舎の族車みたいなセンスのカスタムのことを言っているなら私的にはno thanksでございます。ぶっちゃけ一眼レフの操作系ってとっくに完成の域に達しているので、新機種が出るごとにガワごと買い換えるのもナンセンスなんですよね。ついでに言うとGRブランドの”スナップの普遍的な価値を追求”というのもよく分からん。

カメラメーカーがこんな胡散臭いコンサルみたいなことを言い出したらいよいよ末期なのではないかと。メーカーなら矜持や心意気は言葉でなく製品、ものづくりで語っていただきたいものです。

Diary


PENTAX K-1 / PENTAX HD PENTAX-D FA★50mm F1.4 SDM AW

今朝もいつもの山道を散歩。
雨上がりの薄暗い空から時折射しこむ木漏れ日を拾いながら歩いた。


最近毎日本当に同じルートばかり散歩していて少しずつ鬱憤が溜まっていたのだけど、ぼんやり空を眺めていたら毎日こうして写真が撮れるだけで何と幸せなことだろうと思えた。

Diary


PENTAX K-1 / PENTAX HD PENTAX-D FA★50mm F1.4 SDM AW

暑すぎて、死ぬ。
ちょっと近場を散歩するだけでそのまま魂を持って行かれそうになりますな。

K-1を使っていて理不尽だなコレと感じるのがSDカード周りの不便さで、まあ普通はデュアルスロットの1番を優先に指定するじゃないですか。たぶんほとんどの方が。で、カードを抜いてデータを移したり…要は1番にカードが入っていない状態でうっかり電源ONすると優先が2番に切り替わるわけです。ここまでは普通ですね?で、1番のカードの用事を終えて1番スロットに戻して電源ONする。こうすると私が知る限りの他の全てのメーカーでは、優先スロットは自動的に1番に戻るわけですよ。便利機能と言いますか、まあ普通に考えたらカメラ側にあくまで「優先は1番」と記録しているのだからそうなってくれないと困ります。

が、PENTAX様はそうならないわけです。「さっき(1番不在時に)2番を指定したよな。このまま2番優先で行くッ!」と。なんて頑固なんだお前は。柔軟な思考とか空気を読むとか、そういう発想とは無縁に生きてきたに違いない。しかし我々も考える葦ですから、ここでこう考えを進めるわけです。「分かった分かった、もうええわ。メニューを弄って優先を1番に戻せばええんやろ?」と。しかし流石はPENTAX。メニュー内からは優先スロットの切り替えができないという謎仕様ですよ。

つまり最終的に優先スロットを1番に戻すためには一度2番のカードを抜いた状態で電源ONする→優先が1番に切り替わる→電源を切って2番にもカードを差し込む。(これでようやく優先1番、サブが2番という当初の状態に戻る)という余計な作業が必要になるんですね。どうしてこうなった。

これ既にK-1 IIでは改善されてるんでしょうかね。もしまだだということであれば、K-1 IIIで改善されることを願います。そもそもK-1 IIIなんて出るのか?と言われてしまうとアレですが。というかこれくらいファームウェアで何とかしてくれPENTAX。

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せっかくの快晴の予報。気分転換にどこか行ってきたら?と提案を受けて一瞬悩むも、何となく5月中だけは近所で大人しく過ごそうと決めていたので深夜の伏見稲荷大社徘徊で茶を濁す。で、帰って軽くひと眠りしたら何だこの最高の気候は。快晴はともかくこの湿度の無いカラッとした気候は通年でも最高のものではありませんか。つまらない意地を張ってないで琵琶湖くらい眺めに行けばよかったと後悔している。朝焼けを狙うなら湖西エリア(近い)で済むのだけど、夕焼けを狙うなら湖東エリア(遠い)まで行く必要がある。今さら出かけるのも面倒くさいしなあ。仕事するか。


K-01を使ってみて実はフルサイズなんて要らんかったのでは?と思い始めていたところで何ですが、実際使い比べるとやっぱり夜の撮りやすさが段違いですな。まあK-01に付けて行ったDA40mmとはレンズパワーも段違いなのでアレですけど。薄明りの一つでもあれば確実に写真をモノにしてやるぜ、くらいの安心感がある。というか自分がフルサイズを使う理由は写り云々ではなく、レンズをそのままの画角で使いたいという一心なのだが。せっかくのデジタルなのにいつまでも大昔の35mmライカ判を基準にして35mm=フルサイズという謎の呪縛に捕らわれているのは実にイケてないと思う。35mm換算でナントカってやつ、いい加減あれやめたらいいのに。

南三陸から 2011.3.11~2011.9.11 佐藤信一


PENTAX K-1 / PENTAX HD PENTAX-D FA★50mm F1.4 SDM AW

いわゆるプロのカメラマンや写真家ではなく、南三陸町で写真館を営まれていた佐藤氏によって撮影された震災の記録。プロアマ問わず外部の人間が作品として撮った記録写真も数多く存在しますが、やはり現地の方が作品としてでなく純粋な記録写真として撮影した写真だからこそ胸を打つものがあります。最近またパラパラとページをめくる機会が増えました。

先月11日、私は地元のローカルラジオを垂れ流しながら和歌山県の海岸線を運転していました。ちょうど震災から10年の節目ということでしきりに追悼、あの悲しみを忘れてはいけないという言葉が繰り返されます。そこで感じたのは、どうしてここまで他人事でいられるんだろうということ。明日にでも、いえ、災害大国に住む我々ですから、まさに今この瞬間自分が被害に見舞われても何ら不思議ではないというのに。

追悼の気持ちが無駄だと言いたいわけではありません。故人を思い偲ぶ。人が真の意味でこの世から消滅するのはその存在を思い出してくれる人間がいなくなった瞬間だと考えているので、私もその気持ちは大切にしています。しかし、いくら思い偲んだところで死者は帰って来ません。本当に大切なことは、今こうして生きる我々がその死から何を学び、どう生きるか、ではありませんかね。あれほどの大災害を対岸の火事みたいに追悼の気持ちだけで済ませてしまったのでは、亡くなった方も浮かばれません。

こんな状況が続いていますから、ついつい今年は低空飛行で乗り切って来年こそは…などと考えてしまいがちですが、来年がやってくる保障なんてどこにもないわけで。他人から見たら生き急いで見えようとも、今出来ることは明日ではなく今すぐにやる、を意識して一日一日を大切に生きたいものです。


SONY α7III / SIGMA 100-400mm F5-6.3 DG DN OS | Contemporary

南三陸から 2011.3.11~2011.9.11 佐藤信一
※別にアフィリエイトリンクとか貼りませんので、ご興味のある方は上記タイトルで検索して購入してみて下さい。既に絶版になっていると思いますが、現時点では非プレミア価格の古本がそれなりの数見つかると思います。凄惨で目を背けたくなるような写真も含まれていますが、素晴らしい記録写真ですので是非。本当は和歌山県から帰ってすぐにこの記事を書き上げたかったのですが、メディアが追悼連呼してるときにこれを書くのも空気読めない奴みたいな感じがしてスルーしていました。ただやはり追悼一色、何周年イベントのような扱いをするのはちょっと違うような気がします。

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