- 2020-04-05 (Sun) 17:29
- SIGMA 24-70mm F2.8 DG DN | Art | クスノキ | 巨木たち(地域別) | 巨木たち(樹種別) | 愛媛県
SONY α7RIII / SIGMA 24-70mm F2.8 DG DN | Art
前回の「乎知命御手植の楠」の続きです。
社叢全体のクスノキ巨樹群が国天指定されているということで、境内にも注連縄の巻かれた数本の巨樹が目を引きます。こちらは境内に入ってすぐの左手「能因法師 雨乞いの樟」。乎知命御手植の楠よりも手前に立地するため順序的にはまずこちらを眺めるのが正しいのかもしれませんが、私は境内に足を踏み入れて初見のあの興奮を断ち切る気になれなかったので、参拝してじっくりと本命を堪能した後に立ち寄ることにしました。
なんと樹齢3,000年、日本最古のクスノキとの伝承があるそうで。
あの神武天皇東征の時代にお手植えされたとされる樹齢2,600年のクスよりもさらに前に?と首を捻りたくなりますが、恐らくあちらよりも古木然として見えたことから、それならこちらは3,000年だろう!みたいなノリで付けられたものであって、何か根拠のあるものではないと思われます。それなりに歳を経たクスノキであろうことは間違いありませんが、乎知命御手植の楠が纏っていた重厚な雰囲気、オーラのようなものは一切感じられません。
この巨樹はですね、実は先人方のサイトを見てもどんな巨樹なのかよく分からなかったんですよ。どうなってるのこれ?と。まあ少なくとも幹周10.0mという数値から、全く見応えのない巨樹ではないだろう。大山祇神社を参拝するなら絶対に見ておかなくてはと楽しみにしておりました。で、こうして間近で眺めてみるわけですが、実はそれでもよく分からない。最初はほぼ朽ち果てた瓦礫のような主幹から触手のように長い枝葉を放出しているように見えて、クスの生命力というのは凄まじいものがあるな、なんて感動してたんです。でもちょっと待てよ。何かがおかしい。
いや、これもう完全に枯死してやしませんかね…
辛うじて自立するのはこの部位のみ。それにしたって生命を感じられる緑の部分は全てまとわり付く着生植物のもの。あまつさえ倒壊しないように支柱でギリギリ支えられているような様相です。
左右のものもこれ、アクアリウムの流木みたいになってますよ。これでもまだ微かに生きているのでしょうか。残念ながら私にはかつて生きていたものの残骸、成れ果てにしか見えませんでした。
ほら。こうして見ると言い方は悪いですがよく盛り付けているなあと。ここまで来るともう天然記念物を指定解除して自然のまま土に還してあげてもいいのでは…と思わずにいられません。
こちらも名有りの巨樹「河野通有兜掛の楠」。
江戸時代には幹周14mを誇るとてつもないクスだったそうですが、こちらも枯死してから久しく、現在の姿からは当時の迫力の片鱗すら窺うことは叶いませんでした。
その他で目立つのはこの拝殿右手の巨樹でしょうかね。
視界に飛び込んできた瞬間は思わず「おお!」と声をあげてしまいました。デカい!そして何より、ちゃんと立ってる! 笑
おおう…しかし枝葉一切無しのトーテムポール状態。内部も完全に空洞化しているようで、生きている感じは全くしません。以前読んだ書籍では枯死寸前との判断でしたが、こちらも枯死していると言い切ってしまって問題ないのではないでしょうか。
訪問前は乎知命御手植の楠以外のクスたちを見るのも楽しみにしていたんです。しかしその歩みを進めれば進めるほどに気分が落ちていく…というのが正直な感想。個人的な思いを述べるなら、天然記念物だとかナニガシのクスだとかそんな称号は取っ払って安らかに眠らせてあげてほしい。別にこの神社の方がどうだという話ではないのですが、死してなお見世物にせんとする人間の業の深さのようなものを感じてしまい、あまり気持ちの良いものではありませんでした。希少動物の剥製を見ているかのような悲哀すら感じます。
その他近寄ることは出来ないものの社殿には健康な巨樹・巨木クラスのクスも散見し、国天指定されているということに対して異論はありません。それでも見応えとしては「乎知命御手植の楠とその仲間たち」という印象が拭えませんでした。結構失礼なことばかり書いてしまったような気もしますが、そこはまあ率直な感想ということで。
さて。次回は気を取り直して乎知命御手植の楠に勝るとも劣らない巨樹について紹介しますよ。こうご期待!(別に誰も待ってない。)
2020/3/25訪問
「能因法師 雨乞の楠」
国指定天然記念物・新日本名木100選
※どちらも「大山祇神社の楠群」としての登録。
樹齢 伝承3,000年
樹高 10m
幹周り 10.0m
愛媛県今治市大三島町宮浦3327 大山祇神社
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コメント:4
- RYO-JI 20-04-05 (Sun) 22:12
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私がマークしていたうちの巨樹がまさにコレですが、う~ん・・・。
事前に見ていた印象とちょっと違いますね。
更にもっと古木然とした感じながらも神々しく生命力に溢れている、そんなクスノキだと思い込んでいました。
ただこれはちょっと痛々しいを通り越しているように見えます。
まぁ勝手に期待しといてショックを受けている自分もどうかと思いますが(汗)。
幸か不幸かto-fuさんが先にレポートして下さったお陰で、現地に行って拍子抜けとならないで済みました(笑)。
それでもこの神社とクスノキ群はどうしても見ておきたいという気持ちにまったく変化はありません。
むしろ早く見に行きたくて仕方ないです。
遠出できるようになったら、真っ先に行きたい場所ですよ。 - to-fu 20-04-06 (Mon) 20:23
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> RYO-JIさん
やはり気になりますよね。皆さんあまり細かく紹介されてないのはこういう理由だったのかと納得しましたよ。
残念ながら私には屍にしか見えませんでした。本当に失礼な例えですが、何だか歴史上の偉人をホルマリン漬けにして
眺めているような悪趣味さを感じてしまい…相手が樹木であれ死者は死者として丁重に扱うべきではないか。私はそう思うんですよねえ。
本当に遠出できるようになったら真っ先に行きたいですね。
私もいつかは自転車で!なんて呑気に考えてましたが、今回の件があってから「いつかまた」なんてのは幻想なんだと
強く実感しました。狛さんも書かれていたように、仮にこの先すぐに収束したとしても二度と新型肺炎前の世界には
戻れないような気がします。それとも我々は時間とともに痛みを忘れていってしまうんでしょうか。色々考えてしまいますね。
ともあれ、収束したらまずは何よりも巨樹サミットの日取りを決めなくては!ですね。
それとは別にRYO-JIさんとたらふく飲みながら語り合うのも楽しみにしています! - 狛 20-04-08 (Wed) 18:57
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確か渡辺センセイの本でだったと思いますが、この「最古のクス」を見た時、僕も自分の目で見ないことには……と思いました。だってほんと、どう見ても枯れ木……シツレイですが。
その前に立たないと絶対にわからないことがあるのと同時、正直な感性をもって見極めないとイカンよなと、巨樹をたくさん見れば見るほど思いますね。
現に、枯れてるように見えたのに心を捉えて離さないのも存在するわけですし……巨樹趣味において絶対避けられない「石徹白の大杉」がそうでしたしね。
生命はいつかは終わるわけで、そりゃあ「かつて生きていたものの残骸」があっても悪くはない。
それが聖遺物であるかのように祀られていたとしても、生に対する死として、あるべき姿ならば見るべきものになるはずです。
しかし、to-fuさんが取り上げているように、これを生きているものと偽って天然記念物に加えたままにするのは、僕もちょっと違うと思いますね。もはや樹勢回復中とかいう段階でないですし。
ましてや、クスといったらあの生命感です。クスなのにあの葉っぱが全然視界に入ってこないようじゃ……。
素人が見て疑問を感じるようでは、そこに神話は宿らなくなってしまう。扱い方を変えてほしいものですね。
まあでも、「乎知命御手植の楠」もあることですし、この地方に立ち寄るなら、訪ねることは確かです。笑
愛媛県か。行きたいですねえ……。 - to-fu 20-04-09 (Thu) 10:52
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> 狛さん
実物を見た感想としても枯れ…いえ、何だかもう雨風に削られて流木みたいだなと 笑
死してなお胸を打つ巨樹。私にとっては福井県の「小浜神社の九本ダモ」がそれなんですが、一体何が違うんでしょうね。
あちらは天然記念物も解除されていますし、やはり死者を生者であるかのように扱うことに嫌悪感があるのかもしれません。
色々な巨樹を巡っていると今にも消えそうな巨樹の命の灯火を懸命に守り続けている方々の努力を目にすることも多く、
そういった方々への侮辱のようにも感じてしまうんですよねえ。死は死として受け入れなくては。
実はこの後もうお一方、大物を紹介する予定です。
愛媛県に行く機会がありましたら是非とももう一度しまなみへ、そして大三島へ!です。
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