和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 大門坂の夫婦杉

SONY α7RIII / SIGMA 24-70mm F2.8 DG DN | Art

熊野那智大社へと続く大門坂の入口にそびえる巨大な二本杉。
声を大にして言いたいのですが、熊野那智大社を参拝される方は絶対にこの大門坂を登っていただきたい。大社の魅力を増幅する…いえ、ここを登って臨むか否かで印象は遥かに違ってくるのではないかという気がいたします。もちろん体調やスケジュール的な問題で難しい方もいらっしゃるだろうというのは承知の上で。

幹周8mオーバー、樹高40m近い二本の巨杉ということで遠目にも明らかにそれと見て取れます。この時点で期待が高まるのではないでしょうか。ええ、早朝寝起きの訪問にもかかわらず私なんか駆け寄ってしまいましたから。

とてつもなくデカい。文句なしの「門杉」です。しかしこの場に立つと…何でしょうね。巨樹そのものに対する印象よりも、この夫婦杉はまさに世界の境界線だったなという、何とも不思議な感覚ばかりが残っているのです。人の世界と神様の世界の国境とでも言いましょうか。いつもの巨樹=巨大な樹木を眺めている気持ちよりむしろ、巨大で古めかしい鳥居でも眺めているような感覚の方が近いとでも言いましょうか。

「ああ、とうとうここまでやって来たんだな。」
今思い返してみても、巨樹単体に対する感想ではなくそんな感慨ばかりが脳裏に蘇ります。

もちろん巨樹そのものも素晴らしい。巨樹に造詣が深い方なら健康な幹周8mクラスの杉が二本並んでそびえる光景というだけで、その迫力が伝わるはず。他県にあるならばそれを見ることだけを目的に足を伸ばしたくなるような、そんなスケールの巨樹です。

これほどの杉が並ぶ姿は流石に壮観で、恐らく巨樹に興味のない方であっても思わず立ち止まってしまうほどではないかと。

しかし正直なところ、私としては巨樹そのものが強く印象に残っているかというとそこまででもなく…むしろ巨樹そのものがまるで結界であるかのような神聖な雰囲気、オーラに当てられてしまっていたような気がします。実際この場から先に一歩踏み込んだだけで空気がガラッと変わってしまったかのような気分になる。

ええ、皆様にもこの感覚を味わっていただきたいのです。もちろん登るのはしんどいです。面倒くさいと言われたら否定できない。面倒くさいですよね 笑 しかし折角わざわざ遠方から(きっと遠方でしょう?)那智を訪れるのですから、どうせ味わうなら骨の髄までしゃぶり尽くしてやろうではありませんか。自分は今神域に踏み込んだのだと、スッと胸に落ちるような感覚。あれを是非とも体感して下さい。

巨樹そのものがあまり印象に残らなかった理由として、その他の名もなき杉たちがそもそも大きすぎることも挙げられるかもしれません。それこそ杉の巨樹なんて参道沿いに何本も生えているし、そこに巨木クラスまで併せたら数え切れないのでは…

ということでこの大門坂、巨樹愛好家的にはニヤニヤしてしまうような光景が終始広がっていました。ここをショートカットするだなんて最早愚行と言い切ってしまってもいいのではないか。

夫婦杉自体、本当にすごい巨杉なんですけどね…しかも対になったどちらもが。それなのに巨樹から脱線した話ばかりになってしまい申し訳ありません。一度ゆっくり対峙してみたいものですが、やはり再訪したらこの夫婦杉だけに集中することはなかなか難しいのではないか。そんな気がしています。

大門坂を登って!としつこいくらいに連呼してきましたが、それは突き詰めると帰路、最後の瞬間の感動を味わってほしいからに他なりません。あの浮世離れした世界から人間の現世へと帰ってきたかのような感覚。名残惜しさ半分、そしてちょっとホッとしたような気持ち半分。頑張って登り、参拝し、何かを感じて人の世に帰ってきたのです。その境界線、ゲートがこの夫婦杉であると。あの感覚だけは車でブーンと下りてきてしまったら絶対に味わえないはず。例えるなら夢の国ディズニーランドのエントランスのようなものかと…ほら、舞浜駅に戻ると一瞬で我に返ってあのネズミの耳を仕舞いたくなるでしょう?え?例えが軽すぎますか?

さて、次回は同じ大門坂の参道にそびえる別の巨樹を紹介します。

2020/2/5・2021/3/10訪問
「大門坂の夫婦杉」
和歌山県指定天然記念物
樹齢 不明
樹高 画像1左:36m 画像1右:39m
幹周り 画像1左:8.21m 画像1右:8.2m

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

4件のコメント

  1. 8mクラスの巨杉が二本もそびえる様は本当に圧巻ですよねぇ。
    それだけで貴重なモノを目撃できたと感動してしまいますが、それだけじゃないところがこの坂の素晴らしい所。
    to-fuさんが何度もこの坂をオススメする理由は、一度味わえばよ~く理解できます。
    『うんうん、そうそう!絶対にここを通らないと意味がない!!』そう深く同意しますよ。
    もっと言うと、時間がないのであれば那智の滝よりもこっちを優先して欲しいとさえ思います。
    私が通ったのは人出が多い日中でしたが、to-fuさんのように早朝だと人もいなくてもっと浮世離れした世界観を満喫できるでしょうね。
    写真を撮ることも楽しいですけど、ここではその雰囲気を味わうことが最高の楽しみ方ですね!

  2. > RYO-JIさん
    ああ、全くもって同感です!
    実際のところ私、先日の二回目の訪問ではまさにその那智の滝を諦めてその分の時間を大門坂→大社に注ぎ込みましたもの。
    大門坂を登って、あの大楠の麓でぽけーっと景色を眺める。あれは本当に何ものにも代えがたい体験でした。
    どうしても巨樹的に考えると初回は三脚も抱えて重量級機材でバシバシと撮りたくなってしまいますが、次回以降は写真をそこそこにして
    軽装であの空気を味わえたら贅沢だろうなと思いますね。ポッケにGRくらいがちょうどいいかもしれません。
    ああ、また行きたい!石徹白に又兵衛桜、志々島の大楠にこの那智…年に一度は!という場所が増え続けていくのは幸せなことです。

  3. 門のように聳えるツインの杉はいくつもありますが、この大杉からはやはり当地の温暖そうな気候を感じます。
    坂の入り口が普通のお宅の庭先みたいな風景のところを抜けるのがまた面白いですね。
    そこからぐっと世界観が古いものに変貌する。
    二つの世界が混じり合うのを防ぐためにこれほどの巨杉が二本も必要なのだ! 
    ……とか書くと厨二病ぽいですが、実際現地で巨樹から体感するインパクトって、超常的なものがあります。実際そうなのかもしれない。
    そればっかりですが、早く自由自在に動き回って見たり撮ったりがしたいです。ほんとそればかり。

  4. > 狛さん
    和歌山はこちらから見ても気候が一段階違うように感じます。あの生暖かった高知に近いイメージです。
    どことなく杉の葉までこちらのくすんだものと違って生き生きして見えるような。

    仰るようにこの二本杉の目の前が普通の家屋というのが効いてますよね。否が応でも世界の境界を意識してしまう。
    あんなところ…と言ってしまっては失礼ですが、当然あそこから毎日通学したり通勤したりという人生だってあるわけで、
    本当に人生色々だなーと考えさせられます。私的にはたまに行けるからこそ感動できる…くらいの感じで、今のスケールの
    小さな人生が性に合っているような気もしたり。いや何の話やねんってくらい脱線してますが 笑

    自由自在に。ホントそれですよね。我々が我慢して抑え込んでも上が簡単に緩めて元の木阿弥。何度このパターンを繰り返すのか。
    流石にそろそろアホらしくなってきました。健康な時間は有限ですからね。まず他人に迷惑をかけないことが大前提ですが、
    仕事も遊びももう少し積極的に動き出そうと覚悟が固まってきましたよ。

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