愛媛県四国中央市 八幡大神社のクスノキ

FUJIFILM GFX50S II / FUJIFILM GF 20-35mm F4 R WR

川之江の「下柏の大柏」から西へ。土居ICの近くにクスノキの巨樹があるということは数年前からチェック済み。
しかし徳島香川エリアから愛媛県入りする頃には既にクスノキを見すぎて若干食傷気味になっていることが多く、なかなか立ち寄る機会がなかったのです。
宿のチェックインまで1時間ほど時間が空いていたこともあって、行くなら今回しかないだろうと向かったのでした。

目的の八幡大神社には迷うことなく到着出来ましたが駐車スペースが見当たらず。
仕方なく神社はす向かいの公民館に停めさせていただきました。

四国中央市指定天然記念物「八幡大神社のクスノキ」。
実際のところ事前の想像よりもずっと立派なクスノキでした。
先人の訪問ログを読むと冬の時期の訪問だったからか葉も随分と枯れ落ちており、あまり元気のない印象。
それが若々しい緑を湛えたこの姿ですよ。なんだ、良いクスじゃないか。ほっと一安心です。

幹周は8.2mということですが、恐らくこれは地上起点に測定された数値であろうと思われます。
随分と根上がりな形状をしているため、レギュレーションに沿って根の上を起点として測定すると恐らく7m前後になるのではないでしょうか。

10mクラスになるクスの多くは根元の空洞化が進んでいますが、まだまだそのような洞も見られず健康な姿です。
2010年頃の姿と比べると落ち葉や土砂が蓄積したのか根元が少し埋もれたような印象を受けました。
昔はもっと根上がりだったようにも見える。

樹勢は間違いなく良好。
葉の新陳代謝も活発なようでこの時期の他のクスノキと比較しても薄緑の新芽が目立ちました。

既に立派なクスノキではあるのですが、神様のように崇め奉られる古木になるまでにはもう数百年必要か?というのが率直な感想。
徳島エリアの大クスのアベレージがすごすぎるだけで単体で見れば十分立派なクスノキなので気の毒ではある…

ちなみに奥に見える山の中には以前掲載した愛媛県指定天然記念物「大川のクスノキ」が。
大川のクスノキは徳島県の猛者たちと張り合えるだけの個性を持った大クスだと思います。

しかしそれはそれとして、健康なクスの巨樹の麓に立つとそれだけで気分がいいものです。
やはり真下から見上げる樹冠がイイ。これで晴天だったら文句なしなんですけどね。

目立った欠損はなし。
神社の御神木らしく社殿への落ち枝を防ぐためにサイドがしっかり剪定されており、スマートな立ち姿です。

忌憚なき意見を述べるなら、この大クスを見るために遠方からはるばる車を走らせるほどの存在ではないかもしれません。
それほどの存在に至るにはもう2、300年はかかるかもしれない。でも、もし近所にこんなクスノキがあったら素敵だと思いますね。
散歩コースの定番になるのは間違いないでしょう。

最後に神社の由緒を。せっかく最近設置されたようなので。
余談ですが、このエリアは安藤さんと小野さんが異常に多い。一体何故なんだ…

2023/9/11訪問
「八幡大神社のクスノキ」
四国中央市指定天然記念物
樹齢 不明
樹高 30m
幹回り 8.2m(恐らくもう少し細い)

愛媛県四国中央市土居町野田1203

4件のコメント

  1. 食傷気味になるほどのクスノキ王国の四国にあるというだけで少しお気の毒な存在ですね。
    こんなのが県内にあったら当然ランカークラスですから。
    充分立派なクスにも関わらずとても若々しく感じます。
    貫禄や凄みを纏うにはまだ長い年月が必要でしょう。
    だからといって値打ちが下がる訳でもなく、しっかり巨樹探訪を楽しめそう。
    そうですね、こういうタイプのクスは毎日の散歩コースにあってしょっちゅう目にしたいと思える感じですね。

  2. > RYO-JIさん
    大阪、和歌山、三重、そして四国…
    これほど近くにクスの大物が並んでいるにもかかわらず、なぜ神は我々盆地民に大クスを与えてくれなかったのでしょう 笑
    恐らく(樹木の寿命で見れば)近年まで巨樹を治療するという概念は存在しなかったはずで、私たちがこの世を去った
    数百年後には「加茂の大クス」クラスの大物が何本も立ち並ぶエリアだって生まれているのかもしれませんね。

    観光資源としての価値は低くとも地域に愛される巨樹というだけで一見の価値アリだと思います。
    これで地元の方のお話なんか聞けたら言うことなしだったんですけどねえ。
    残念ながら35℃オーバー?くらいの気温だったので、人っ子一人歩いてませんでした 笑

  3. 巨樹探訪を続けていながらも、もうずいぶんとクスノキの下に立っていないなあと。
    西や南に行けばクスまみれになってしまうのはわかっていつつも、探訪記にクスが一本も増えないというのも、ちょいと寂しいものですね。
    大がかりにならない範囲で考えるなら千葉か。茨城にはもう目立つ個体がない。と、資料だけでなく実感があります。
    このクスも、もし房総界隈であれば十分主役を張れる。樹勢もいいし、巨樹愛好家はクス成分(樟脳?)を補充しにわざわざ足を運んでいたと思いますね。

    四国のあのクス密度からすれば、珍しいからとか、他よりウチを目立たせたいとか、そういった狙いで植えられたものではないんだろうなとも感じました。
    100年、200年後のこのクラスのクスの姿にも興味があると同時に、数百年前にこれを植えた人(たぶん安藤さんか小野さん)が何を考えていたのかも聞いてみたいものです。
    クスだからこその意味に重きを置いていたのは確かだとして、つまるところ「クスっていいよねえ」みたいなシンプルな発想からだったりして。

  4. > 狛さん
    同じ日本国内でもこれだけ動植物の分布が違うのだから面白いですよね。
    それこそ最近RYO-JIさんが紹介されていたアコウなんて、どう見てもお前関西じゃなくて南国のモンだろって感じですし 笑

    千葉の房総辺りはどことなく紀州感ありますよね。大昔、船で渡って来た紀州人が「この辺は何となく地元に似てるぜ」なんて
    和歌山と同じ地名を名付けたそうですが、あの辺りの気候や風景を思うと納得してしまいます。クスも当時の紀州人が地元に
    想いを馳せながら植えたのかも?などと考えると実にロマンがあります。

    四国のあのクスたちは、どこかの神社の解説板に書かれてましたけど一里塚的な目印として植えられた説が有力らしいです。
    当時はばかみたいにデカい大王製紙や住友の工場もありませんでしたから、遠くからでもさぞ目立ったことでしょう。
    有力者だった安藤さんだか小野さんが「この辺りはワシの国や!」と独立宣言して隆盛を極めたんだろうなあ…(ウソ)

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