Diary

150315

@梅小路公園

ジョーシンでもらったうまい棒。
僕が子供の頃はそこらに駄菓子屋があったけれど、今でも10円でお菓子が買えるなんて凄いことだと思う。

この1年間ですっかりデジカメがメイン機になった。
昔はデジタルに移行するなんて考えもしなかったなあ。

写真行為というプロセスの中での楽しみは減ってしまった。
でも、昔より写真そのものと素直に向き合えるようになった気がする。

それにしても思ったよりSONY DSC-RX100が使いやすい。
画質はX100SやGRに劣りますが、そもそもプリントしてもL版なので…

2件のコメント

  1. まぶしい写真、しかも伝説的にうまいというコーンポタージュアー味じゃあないですか。
    この表情……思わず娘さんたちにアテレコして遊んでしまいそうです。
    「これがまた、ほんとにね」「うっしゃー」

    デジタル写真については、僕も同じように感じているところです。
    フィルムが使えなくなったことでおしまいになってしまうような、自分の写真とは、どうやらそんなもんじゃなかったようで、良かったです(苦笑)。
    フィルムは実際いい時期に経験できたものだと思ってますし、ようやくデジタルでそこそこ撮れるようになってきたことを、自分の進歩と取ってもいいのではないかとも思います。
    やっぱり、写真は自然体でパチパチ楽しく撮り散らせないと。

  2. コーンポタージュ味は至高ですね。
    子供の頃はコーンポタージュ味なんて無くて、僕の周りではチーズ味が人気でした。

    僕は何というか「とても写真と近いけれど、それでも明確に写真とは違った何か」に自然と移行したような感じです。
    写真撮影ではなくて画像撮影、とでも言いましょうか。実際にプリントせず画面を眺めてニマニマして終わりの人多いですしね。
    写真の何よりも素晴らしい点が、良くも悪くも残ってしまうところ(残すではなくて残ってしまう、です。)だったと思うんですよね。何十年も経った古いアルバムをたまたま見つけて「うわー懐かしい」みたいな。全て処分したはずの昔の彼女の写真が実家の片隅から見つかったりだとか 笑

    僕は今でも撮った画像はボツも含めて絶対にプリントするよう心掛けてますが、世の人たちはきっとデータとして保管して終わりなんだろうな、数十年後にはデータが飛んで(数年で飛びますけど)無に還ってるんだろうな…と考えると、写真ってインスタントなものになってしまったんだなあ…と寂しい気持ちになります。

    ただ、デジタルは撮った瞬間終わりなので、そういう意味では本当に素直に向き合えるようになりました。
    撮りたいときにシャッターボタンを押して撮って、あとは丸投げしたらプリントが完成しますしね。
    フィルムの場合は撮った瞬間の感動を現像→暗室の後段階で冷静に見返すことになるので、どうしても少なからず改変してしまいます。

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