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SIGMA fp / SIGMA 45mm F2.8 DG DN / COLOR “Forest Green”

本日も4:00起床からの伏見稲荷大社朝練。参拝スタート10分ほどのところで今年恒例のスコール。ノー雨具状態で戸惑ったけれど濡れて困るものといってもスマホとfpくらいしか持ってなかったのでバッグに突っ込んで強行。結局1時間は大雨が降り続いて全身&バッグがずぶ濡れになりましたが本日も無事ノルマの一周を終えました。行くと決めたら行くのです。

登り始めると同時に降り始めて下山後に止むといういつものアレ。大丈夫、何も問題ない。

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SONY α7III / TAMRON 70-180mm F2.8 Di III VXD

4:00起床。今朝も早朝の伏見稲荷大社一周コース。最近SIGMAの70mmマクロが気になっているので、仮想70mmマクロということで70-180mmを付けて実際そんなレンズ要るか?のテスト。うん、すごく良いぞ70mm。ただズームレンズでこれだけ写るなら単焦点要らなくない?というところに思い至る。一昔前の単焦点レンズ相手なら引けを取らないくらい良く写る、(望遠レンズにしては)軽い、(最近のレンズにしては)安い。うーん、このタムロン70-180mmは本当に良いレンズだ。こう考えると購入する理由が思い浮かばない。強いて言うなら約250gの軽量化くらい?最近重量級機材に慣れすぎてしまって重量はあまり気にならなくなってるんですよね。却下かな。

あと使ってみたいのがPENTAXのDFA★1.4/50。最近古参ペンタユーザーのブログをいくつか拝読してまして、その狂信者(失礼)たちがこぞって絶賛してるんですよね。「K-1ユーザーなら必携。というか黙って買え。」と。PENTAXを応援したい気持ちもあって、ちょっと買ってみようかと心が揺れております。しかし今の自分的に50mmって非常に中途半端な画角で、撮り散らかすなら35mm辺りを持って行くし狙い撃ちする時は中望遠以上を使いたい…ということで全く出番が無さそうな気がするのです。買い物は悩み始めるとドツボですなあ。やはり勢いで買ってしまわないと。身銭を切って現物を使わずに分かることなんて実際たかがしれてるんですけどね。

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SONY α7RIII / SIGMA 35mm F1.2 DG DN | Art

天候が安定しませんね。天気予報が全くあてにならないので雨雲レーダーばかり見ています。
遠出とまではいかなくても、そろそろ気分転換にいつもと違う景色を見てみたいものです。
雨さえ降らなければ隣の市とかでも全く構わないんですけどねえ。

大きい案件が片付いてようやく時間とお金に余裕が出てきたところで、別段欲しいものも無ければ今出来る範囲でやりたいことも無いという地獄。四国一周だ!とか車で東北まで一気にかっ飛ばすぜ!とか非現実的なことならいくらでも思い浮かぶんですが。せめてもの贅沢に海を眺めに行きたい…これも実現可能なところまでスケールダウンすると琵琶湖でも眺めに行くか、となるわけで。いえ、早朝の琵琶湖はとても綺麗ですよ?また琵琶湖大橋でも撮りに行きましょうかね。

富山県砺波市 厳照寺の門杉

SONY α7III / TAMRON 17-28mm F/2.8 Di III RXD

早朝から「洞杉群」を散策してその後も埋没林博物館、2本の大ケヤキと回っているうちに充足感に包まれてしまい、もう早々にホテルを目指して進んでしまってもいいのではないかという気になって来ました。とはいえまだまだお昼を回ったところ。最後にもう一箇所だけ寄ってみることに致しましょう。今度は少し趣向を変えて山方面へと向かい厳照寺を目指しました。本願寺五世宗主、綽如(しゃくにょ)上人によって開基された厳照時。もちろん浄土真宗本願寺派のお寺さんです。こちらに推定樹齢450年の大杉が…と、既に否応なしに視界に飛び込んできました。おお…これは。続きを読む →

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FUJIFILM X100V / Film Simlation “Classic Nega”

ようやく連休が終わる。観光地在住民としては近場に出かけるのも逆に憚られるわけで、控えめに言って最悪の4日間でした。個人的には感染者が急増するこのタイミングで嬉々として旅行に出かけられる人って失礼ながら「かなりやべーサイコな奴」という認識しかないんですけど、国の方針としてブラジルさん型脳筋ルートを選択した以上、最近はそれに従って生きるしかないのかもしれないと思わなくもなかったり。国のお墨付きで旅行に出かけているわけですから、一体誰に彼らを批判できようか。国が自粛で抑え込むことを放棄した以上、既に個人の意思で自粛してどうこうなるレベルの話ではなくなっているような気もします。だって我々が3ヶ月我慢した先に何が待っていたかと言ったらキャバクラホスト風俗を愛する人たちが歓喜しただけで結局元の木阿弥ですから。仮に再び以前のような自粛を求めたとしても多くの人が従わないだろうし、正直もう終息不可能でしょう?

かと言って自分が感染して重症化するか否かを別にしても、周囲の人たちを死に至らしめる可能性のあるウイルスに対して意識低く生きるのは、あまりにも人間としての知性・品性が欠如しすぎてやしないか?とも思うわけで。一体何が正解なんでしょうね。正解なんて誰にも分からないからこそ悩むわけですが、とくかく後悔の無い生き方を選びたいものです。