愛媛の記憶

LEICA M10 / Leitz SUMMILUX 50mm F1.4 2nd

10年前とほぼ変わらないように見える街並み。
我々は朝から酷い二日酔いでどこかへ出かける気分になれず、この脇にある突堤の先端に腰掛けてぼけーっと缶ビールを啜っていた。
遠くしまなみ海道を望む突堤。そんな思い出の突堤にはフェンスが敷かれ、残念なことに立入禁止となってしまったようだ。

漁師町の雰囲気が好きすぎる。
別に漁師町で生まれ育ったわけでも何でもないのに、あの磯臭い風を感じるとどこか感傷的になってしまう。
これも一つの「日本の原風景」と言えるのではないかなあ。
昔のように缶ビールを啜りたくなるも、自転車&車移動なので今回は叶わず。
この時点でさっさと宿を抑えて缶ビール片手に一日街をぶらぶら歩き回ってもよかったかもしれない。

10年前の写真と見比べたいところなのだけど、当時はちょっと病んでいて写真から離れていた時期なので旅の写真が一切残っていない。
色々な事情から自宅暗室をやめてデジタルに移行する気にもなれず、このまま写真とは無縁の生活を送るのだろうと思っていた。
当時の街並みやスルメを齧りながら缶ビールを啜るグロッキーな友人、そんな他愛のないものを何故しっかり撮っておかなかったのか。
今となっては本当に後悔しかない。

2件のコメント

  1. 匂いや気配をきっかけにふいに他所の街に強い郷愁を感じると、ショックですよね。
    その電気的というか波動的な相性が好適だと第二の故郷みたいな街ができそう……。
    敦賀、呉、佐世保なんかでそんな感じを受けました。
    あー、そういうとこ、僕としては小さな漁村よりも港街なんだろうなと。お里が知れるというか。苦笑
    自分のルーツや、歩き疲れてくるとうっかり前世でどこで生きていたのかとか想像していたり……。

    人生の内、どうしても撮る気になれない時期もありますよね。
    外世界を見て、出来事を受け止める準備ができてない時なのかもしれない。
    強いインプット体験を経て、何かしら今の自分を変える勇気があるか? ……いや、無理だな……みたいな。
    そういう時期を越えて、ふと撮ってみたい対象や使ってみたいカメラに出会えた時、また一段と嬉しかったようにも思います。
    自然体で撮り散らかしている時って、きっと幸せというか、大丈夫なんだなと。

  2. > 狛さん
    全然知らない街のはずはのに何だか既視感があったり、懐かしく感じたり。何なんでしょうね、あれ。
    第二の故郷というのはまさに自分がこの数年意識しているワードで、親が転勤族だった自分の場合は幼い頃から住み続けた
    故郷がないこともあって、そんな「何かあったら帰りたくなる場所」を探している節があります。
    なんとなく海の側に郷愁のようなものを感じる私としては、狛さんの故郷なんてまさに理想的な環境ですよ 笑
    またスナップをご一緒させてもらって、冷えた体にあのくそ美味いタンメンをキメたいものです。(冬場のイメージ)

    色々な心境の変化が積み重なって、意識が写真の方に全く向かなくなる時期ってありますよね。
    私はホント、狛さんから関西に立ち寄ると連絡をいただいたあの瞬間が復活の時だったんですよねえ…
    で、久々に大雨の中で無心にシャッターを押したり、帰ってその水滴で曇った写真を見返したりしていると、
    ああ写真ってこんなに面白かったんだなあと。
    カメラを持ち歩いて写真を撮れているときはまだ大丈夫だ!と心身の健康のバロメーターになりますね 笑

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