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Diary


FUJIFILM GFX50S II / FUJIFILM GF 35-70mm F4.5-5.6 WR

実家より連絡があり、そろそろ祖母が限界かも…とのこと。

コロナ禍もあって祖母とは数年会えていなかったのです。
万が一こちらがコロナキャリアだった場合、移してしまうと命を奪いかねないので会うべきではない。という判断。
結局我が家はいまだ誰も感染せずに済んでいるので「結局コロナ騒動って何やったん?」みたいな感覚もあり、会っておけばよかったと思う後悔も。
まあ結果論で考えても仕方ないんですけどね。もしコロナを移していたらそれはそれで後悔しているに違いないわけで。
両親とはそりが合わずお祖母ちゃんっ子だったワタクシとしては、どんな選択肢を選ぼうと結局後悔しているような気がします。

ということで急遽今週末関東のホテルを抑える。
すぐにでも飛んで行きたいのですが長女がちょうど明日までテスト期間なのです。
塾の先生をしていた祖母。万が一間に合わないにしてもテストをサボって会いに来るのをヨシとしないでしょう。


で、元気だった祖母がうちのムスメたちと遊んでくれていた頃の写真を見返しているわけです。
写真っていいなあ、写真やっててよかったなあと。

昔撮ってたカメラなんてフィルムカメラだったりポンコツデジタルだったり今のカメラと比べたら散々な代物なのですが、はっきり言って何で撮ったか、綺麗に写っているかなんで実にどうでもいいんですよ。くだらない。とにかくたくさんのシーンを撮ってきた写真が、形として残っていることが嬉しい。

写真はいいぞ。うん。
ピントがズレてようが内蔵ストロボで目が赤く光ってようが、そんなことはどうでもいいのです。
写真の本質は決してそんなところにないのだから。

コメント:2

23-02-17 (Fri) 8:22

どんな選択肢を選んでも後悔するだろう……という一節、深く理解できます。
人と人同士、意思のぶつかり合いがあるからこそ、お互いを別個と認められて、生きていられるんですものね。
to-fuさんとお祖母さんの時間が長く保たれることを願っております。

いくら平均寿命が延びたとしても、我々はいつか必ず限界を迎える。
だから、一瞬を固定して半永久に保存する写真をかけがえなく感じる。
構えてない写真、アホな写真、撮り手の動揺が写ってしまった写真に、水を封じ込めた水晶みたいに、半永久の中に生の部分が残ってるんですよね。

to-fu 23-02-17 (Fri) 15:32

> 狛さん
自分は本当に後ろ向きな人間なので「さっきの選択、やっぱりもう一方を選んでおけば…」と日々後悔ばかりです。
残された人生の時間に関しては決して他人事ではなくて、自分がどこまで健康なまま毎日を過ごせるかなんて誰にも分からない。
もし明日死ぬことになっても、それでもまあ良い人生だったと納得して逝けるように過ごしていたいものです。

歳を重ねるにつれ、写真観はどうしても変わっていきますね。
昔は街を歩いてストリートスナップなんて気取ってましたが、いざ周りの人が亡くなってみると「写真が趣味」などとのたまいながら
その人の写った写真がろくに残ってなくて絶望しましたよ。写真趣味の人間だからこそ撮れた写真があったんじゃないか?と。
飲み屋でヤマサキさんと100万回くらい繰り返し話したネタですが、人生を折り返してみて一層考える時間が増えたような気がします。

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