茨城県神栖市 波崎の大タブ

SONY α7II / SONY FE 24-105mm F4 G OSS SEL24105G

「波崎の大タブ」。このタブノキはその筋の本やWebサイトで姿を知ってから、ずっと訪れたかった巨樹の一本です。全国のタブの巨樹の中でも代表格であることは間違いないでしょう。全国的にも稀に見る大きさのタブノキですが、ただ大きい木を回るというだけの観点で見ると、もちろん国内にはこの巨樹よりも大きなタブだって存在するんです。しかしどうでしょう、この心安らぐような光景は。写真から察するだけでもこの巨樹には何か数値では測れないものがあるに違いない、そんなことが伝わってきます。

県指定天然記念物、波崎の大タブ。その所在地は茨城県神栖市の神善寺境内。当然ながら京都在住の私が気軽に行けるような場所ではなく、地元の狛さんに案内していただいたのでした。波崎…海は近いし地物の豚料理は美味いし良いところだったなあ…また食べたいなあ。(結局食べ物かよ。)

単幹でズドンと一直線に伸びるスタイルではなく、頭上の辺りでヤマタノオロチのように分かれるタイプの巨樹です。周囲が開けているので一直線に成長するよりはこのような形の方が成長効率が良かったのでしょう。根元の側には先程の案内板が立てられています。

どうです、かなりの見応えではありませんか?たくさんの石仏に見守られながら縦横無尽に枝葉を伸ばすその様は、どことなく同じ茨城県の「出島のシイ」を彷彿とさせます。(根元のゴミ袋は無視してください。お盆に向けた境内の掃除の最中にお邪魔したのでした。挨拶したところ我々を邪険に扱うこともなく、にこやかに対応して下さいました。感謝。)

正面から。真夏ならではの生き生きとした姿。樹齢約千年余りということですが、その姿はまだまだ老木とは呼ばせてもらえないくらいの活力に満ちていました。神善寺が建立されたとされるのが西暦1056年、恐らくその際、このタブは既に大きく成長していたと思われるので、その千年強という見立ては遠く外れてはいないように感じます。

大枝を支えるコンクリート製の立派な支柱。
正面向かって左手の大枝には一切支柱が見られませんでしたが大丈夫なのでしょうか。

かつてはこの支柱のところにも大枝があったものと思われます。
支柱があっても折れるときは折れてしまうのですね。

流石は樹齢約千年の巨樹。近くで凝視するとそこら中に傷みが見られました。ただ、画面中央の欠損部位の辺りから新しい枝が生えてきているのも確認できます。一個体の中での新陳代謝とでも言うべきか、朽ちる箇所あれば成長する箇所ありという感じで、衰えのような悲観的なものは感じられません。

この姿、ですからね。同じタブノキでも同日に訪問した「府馬の大クス」とは全くタイプが違います。あちらはもう樹木という枠を飛び越えて神様の域まで到達しそうな神々しさを感じましたが、こちらの大タブはまだまだ樹木としての生を全うしている最中に違いありません。なんて、字面だけ見ると神々しいタイプの方が格上に見えてしまうかもしれませんが、生き生きしている巨樹というのは本当に見ていて気持ちの良いものなんですよ。決してどちらが上である、というわけではありません。

主幹のコブ。枝との重量バランスをとるためにタブ自身がコブを作って無理矢理根元を重くしたかのような、そんな印象を受けました。コブの形状次第ではちょっと仄暗い感じが出たりグロテスク系になってしまいがちですが、この巨大であまり凹凸の無いコブはむしろチャーミングに思えてなりませんでした。

こちらも出島のシイと同じですが、石仏たちはみんなタブの方を向いています。首が折れてしまったものはセメントで補修されていたり、顔の代わりに何やらタマネギ状の石が配置されていたりしました。この石仏は全てタブを想う地元の方々が寄贈されたものなんだそうです。だからなんですかね。この周辺にやけに温かい空気が流れているのは。人々に大切にされている巨樹というのは何となく「分かる」んですよ。それは周囲が片付いているとか枝葉が整えられているとか、そういう理屈ではないんです。とにかく対峙していて気持ちいいんですよ。巨樹も人間に対して好意を持ってくれているからなのかもしれないな、なんて思います。

真夏の夕暮れ時に映える温かいタブノキ。この日の巨樹巡りをこのタブノキで締めることができて本当に良かった。そう感じたのを今でもはっきり覚えています。距離的にもなかなか気軽に会いに行ける巨樹ではありませんが、また遠くない将来対峙してみたい巨樹です。

2018/8/11訪問
「波崎の大タブ」
茨城県指定天然記念物、新日本名木100選
樹齢 約1,000年
樹高 15m
幹周り 8.1m

茨城県神栖市波崎3355 神善寺

4件のコメント

  1. このタブノキは、狛さんのところで拝見してよく覚えています。
    石の柱に支えられつつも、横に広がった姿が印象的です。
    それと根元のコブが・・・。
    to-fuさんがおっしゃるように、枝との重量バランスをとるために成長した説は説得力ありますね。
    一見すると樹齢1000年とは思えないような若々しさも感じますが、歴史を生きてきた証のそこここにあって重みがありますね。
    人との関わりが巨樹の印象に大きく左右されるというのはよくわかります。
    これは明らかに身近で温かい存在だというのが写真で伝わってきますから。

  2. ああ! ありがとうございます! まさに我が地元の巨樹、僻地の大タブをご訪問いただきまして!
    福井の海側でto-fuさんがタブの樹に関心を持たれていたのも、何か、いずれこちらの地域で巨樹巡りをされる伏線のようにも思ってました。
    ということは、府馬の大クス(でもタブ)とこの波崎の大タブに出会われることは、もはや不可避。
    いや、こちらで巨樹と言ったら、この樹は避けて通ることはできませんが 笑……立っている土地が、何せああいう端っこの方ですからね……。
    タブである必要性、必然性というべきものがある……現場に行くとそう感じますね。

    to-fuさんの見方がまたユニーク。
    言われてみると、出島のシイに通じる信仰体系があるように確かに感じます。
    巨樹を神仏と同等に想い、それを囲んで守るような、讃えるような。この距離感がまたいい感じなんですよね。
    名や肩書きを引き上げるだけではなくて、こういう表現の仕方、心がこもっていることがわかります。
    このでかいコブがカウンターウェイトの代わりというのも、面白い説!
    確かに、この長大な腕を広げてもひっくり返らないために、見た目だけ取っても、このコブは必要に思いますね。

    写真が、ゴミ袋をめぐる一連のストーリーみたいになってるのも見逃せません(って、現場で見てましたけどね)。
    ほんとここはマメに綺麗にしていると関心します。
    地元として樹はもちろん、その辺りも誇らしく思いました。

  3. > RYO-JIさん
    遠方に住む我々から見ても強く印象に残る巨樹ですよね。
    僕にとってタブノキとしては全国で一番会いたかった巨樹かもしれません。
    本当にこの活力的な姿を見ると樹齢1,000年選手とは思えませんね。

    野生児のような荒々しい巨樹も魅力的ですが、一日中巨樹を巡った先にある最後の一本がこのような安心できる木だと、やはり気持ちよく一日を終えられる気がします。この直前に見た「府馬の大クス」なんかが最後の一本になるとちょっと考えさせられると言いますか、簡単に「さあ行くぞ、晩飯だ!」みたいなテンションには切り替えられなかったかもしれませんね 笑

  4. > 狛さん
    本当に僕一人だったらあそこまで到達できていたかどうか…
    自分でプランを組んだら、あそこまで完璧な順序で素晴らしい巨樹群を回ることなんて絶対にできませんでした。
    今思い返しても、あの日見たどれもが素晴らしい巨樹でしたねえ。

    僕の中ではWebや本で見たときから何となく出島のシイと同じジャンルで記憶していました。地蔵系?(そんなジャンル無い)
    本当に心が籠ってますよね。どんな巨樹でもそれなりに苦労して会いに行かなくてはならないので、辿り着いた先で待つ巨樹が地域で大切に扱われていることが分かると、それだけで嬉しくなってしまいます。このタブなんかはまさにその典型でした。

    あのゴミ袋は改めて写真を見返すと味があって良いですね 笑
    そうだよな、あの日撮った写真なんだよなと変に納得してしまいます。
    ゴミ袋をどけておくからまた撮りに来いよ!ということなのかもしれません。
    と、都合のいいように解釈しときましょう。

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